現代芸術について 2

などというタイトルの続きとしていちおう書くのだけれど、思い出しているのは印象派のことで、思い浮かぶのはモネ、セザンヌ、となったらもうすでに印象派後期というようなことになるのか。あとは、カミーユピサロアルフレッド・シスレーなんかが印象派か、と書いているときに、ルノワールドガを除外したくなっているような感じで、私は印象派というと風景画なのだと感じているのだなあ、と、思う。あと、さかのぼり気味だがマネをいちおう思い出してみる。逆に時代を下ってゴーギャンゴッホも、というけれど、そんなに時代的な差はないのか。それから、ボナール。ルドン。ルドンはここに入れたくない気もするが、最後の印象派展に出品していたという。ボナールは、私がなんとなく関係がありそうな気がするだけだ。というところで、やめておく。ブラックやピカソマチスは出てこないということにする。


で、その印象派展は、1874年に始まり1886年に終わったという。モネは1840年に生まれ、1926年に亡くなった。セザンヌはモネより1年年長。モネより早く、1906年に亡くなっている。それはどんな時代だったのか。
と書いてしまったあとに、ついでのようだけれどボナールの生没年を書く。(1867-1947)らしい。ルドンがなぜか気になったが、(1840-1916)で、モネと同じ年に生まれたのか。
そしてドビュッシー(1862-1918)、ラヴェル(1875-1937)を思い出す。ストラヴィンスキーは出てこない。サティ(1866-1925)は微妙だな。さかのぼって、フォーレ(1845-1924)の名前を書いておこう。
そして、坂本龍馬(1836-1867)を思い出すのだった。今大河ドラマの主人公をやっているからというだけではない。彼はセザンヌの3年前に生まれたのだ。マネ(1832-1883)より若い。
さらには葛飾北斎(1760-1849)、安藤広重(正しくは歌川広重らしい)(1797-1858)を思い出すのは変か。


明治維新がいつ頃だったか、明治改元は1868年。坂本龍馬が斬られた翌年か。
第一次世界大戦は1914年から1918年とされるようだ。この戦争の終わった年にドビュッシーが亡くなっている。ルドンは大戦中に亡くなっている。
第二次世界大戦は1939年から1945年らしい。上に出てきた人のうち、この戦争の後にも生きていたのはボナールだけか。


現代美術は Modern Art なのか。現代音楽を Modern Music とは言わないようだ。ドイツでは Neue Musik と言うらしい。
現代美術の現代美術っぽいエポックはまずは抽象絵画・彫刻だろう。現代音楽は調性からの逸脱、あるいは調性の否定が印象的な事象か。それらはある程度芸術の外の時代的な事象、思潮に対応しているのか。
抽象ということは、一般に具象ではないということのようでもある。この熟語の対比はよくわからなくなるものでもある。非対象絵画なんてこともあるかもしれないが、対象? 抽象というのは、中身のない形のことか。とすれば具象は具が詰まっている・・・うう・・・。


印象派を特徴づけるのは外光の採用、風景画がおおいこと、点描技法というのは、上に名前が出てこないスーラ、シニャックたちのほうが象徴的な名前だが、やはりこの人たちのことは忘れておこう。
もっと言うと、テーマ性が希薄だと言ってはどうだろうか。風景画というと、コローやミレー、カンスタブル、ターナー、さかのぼるとフェルメールの幾枚かの風景画があったような気もする。もちろん連続性、関連性は深いといえる。もっとさかのぼるとジョルジョーネやティッツィアーノの画面のかなりの部分を占める風景要素も、か・・・。
しかし彼らと比較しても、より無内容とも言える、なんでもないその辺の景色が、美しくありさえすれば、いいという、ようなこと。
そんなことを言っていたかどうだか知らないが。
色彩と形態のコンビネーション、ただし、物質感を感じさせるということがないわけではない。
物語は必要ではない。コローやカンスタブルやターナーもそうかなあ。でも何か違うよなあ。


ドビュッシーのことも以前より頻繁に気になる。印象派もそうだ。それで、それはなぜかが気になっている。あまり音楽と美術を関連づけるのもどうか、と思うが。
「牧神の午後への前奏曲」は、1892年から1894年にかけて書かれたらしい。「海」は1905年。
モネの「印象・日の出」は1872年から73年。彼の睡蓮の大作は死の直前まで書き続けられていたらしい。その頃にはドビュッシーはもういない。
ラヴェル「水の戯れ」は1901年、「鏡」は1904年から5年。その後は新古典主義的になってしまうのか。


先日、マンドリンの演奏会で鈴木静一さんという方の曲をまとめてやっていて、この人からはラヴェルを連想することがときどきあったのだけれど、ドビュッシーも意識してたのじゃないかというようなことを、聴きながら思った。今調べてみたらドビュッシーの編曲を多く残している。鈴木さんの生没年は(1901-1980)。
ふと、山田耕筰(1886-1965、明治19-昭和40)を思い出す。日本の洋楽受容史上初期の巨人と言っていいのか。彼の(日本人の)最初の交響曲「かちどきと平和」は1912年。まだ第一次大戦は始まっていない。しかし彼の音楽はドイツの流れなのだろう。上で取り上げているのはほとんどがフランスで活動していた人たち。


思えばこの頃のフランスは身近に感じられる。世界の、特に文化的な首都はパリだったのか。音楽の都はウイーンだったかもしれないし、経済はロンドンだったのかもしれない(こちらのことはよくわからない)が。
ゴッホもパリにいたことがある。彼の生没年は(1853-1890)。37歳で亡くなったというのは、痛ましすぎる。そういえば、今でこそゴッホの話はそれほどは話題にならないが、以前はエキセントリックで理解されない芸術家の典型としてよく思い出されたような気もする。ピカソとともに? あとは、天才は生前は理解されない、なんて出鱈目な慣用句の根拠になっているが、なにはともあれ、死後は愛されていると考えよう。私は彼の年齢をもう6つも超えてしまっている。


ふとベートーヴェン(1770-1827)を思い出した。彼は北斎より後に生まれ、先に死んだんだなあ。
彼を思い出したのは、彼が芸術家というものの原型のひとりだと思ったからだ。ゴッホも、今まで続く芸術家のイメージのもとになった一人。あとは、ピカソ
連想が支離滅裂になってきた。
鈴木静一さんには「ヴェルレーヌの詩に寄せる三楽章」という曲があり、先日の演奏会でもそのなかの一曲が演奏された。
ヴェルレーヌは(1844-1896)の人。バリにいたらしい。ドビュッシーの「牧神の午後」というのはマラルメ(1842-1898)の詩だ。もう一人、ランボー(1854-1891)を加えて象徴派の代表的詩人ということになるのか。詩!
詩なら小説というと、プルースト(1871-1922)か、などと、全くよく知らない人たちのことばかりを書いてしまった。何か名前ばかりをカタログのように思い出す。ジョイス(1882-1941)が、こんなに最近の人だとは知らなかった。ジョイスは、「ダブリン市民」からいくつかは読んだことがあると言えばある。
と、アイルランド生まれの人を思い出したことは筋違いかと思ったが、彼もパリにいたらしいのだ。
パリといって思い出すのは、「パサージュ論」の、ベンヤミン(1892-1940)。この人はドイツの人だが、この本の内容が「パリ――一九世紀の首都」というものなのだ、という書き方は変か。彼は第二次大戦中にナチスに追い詰められるように亡くなったことが知られている。ベンヤミンの次に彼の盟友(?)アドルノ(1903-1969)を思い出したが、その理由の一つは、彼のものだと言われている有名な言葉「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」というもので、現代芸術というものはアウシュビッツヒロシマのあとのことだという画期の置き方も可能かなという気もしてくる。


それはそれであって、しかし実は印象派の輝きはますます増してきている気もする。人類はようやく第二次世界大戦の衝撃を忘れ、あるいは傷をいやし、詩を再び書き始められるようになったのか、と、思ったのだが、人類とは、私も思い上がったことを書いた。参戦しなかった国々のことは、巻き込まれた国々も、ほぼ関わりのなかった国々のことも、私は容易には想像も出来ないのかもしれないと、ふと思う。そもそもが世界大戦とは。
その後の現代とは、なんだったのだろう。印象派の輝きを取り戻そうと考えてはいけないものなのだろうか。
あとは、実は、今もまだ近代のような気もする。
なにを書いているのか、書きたかったのかすっかりわからなくなってしまったが。

Pen (ペン) 2010年 6/1号 [雑誌]

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