たまには楽器を弾く

ベートーヴェンもいいものだと思ったのは、交響曲第7番の第2楽章をアンサンブルでセッション風に弾いているのをYouTubeでたまたま見た時で、それはけっこう前のことだったが、そんな記憶がふとよみがえってちょっと自分でも弾いてみたくなって、ダウンロードしたスコアをパソコン画面に開いて音をたどってみた。
管楽器数パートの強奏がデクレッシェンドして消えるとともにビオラ、チェロ、コントラバスという弦の低音で始まるメロディー、これは行進曲のようだが、つまりは葬送行進曲のようなのだ。といっても私の勘違いなのかもしれないが、このアレグレットの楽章は有名なはずで、これほど胸に迫る音楽というものも少ない気がする。
しかしそれにしてもなぜこんな陰鬱な音楽を、いい、と思うのだろう。
そもそもベートーヴェンはあまり好きではなく、なにかにとりつかれたような情熱の行方が良い結果を生むことも少ないと思える。もしかしたら、特に日本の社会でそんなことがなじみにくいということものかもしれないが、どんな社会でも何かしら軋轢を生むような心の持ちようではないか、この、情熱、とは。・・・そうじゃないのかなあ。戦乱や不安の時代にふさわしい音楽? あるいは近代化の強引さを後押しした音楽? 彼、ベートーヴェン自身もナポレオン・ボナパルトに愛憎半ばであったようでもある。
しかし、ベートーヴェンは面白くないことはない。私にもなにかしらすごいことをしたいとか、世界が進歩しているというような実感につつまれたいという衝動が残っているのかもしれない。あるいは、そのポジティビティが挫折しうる可能性が描かれたような楽章が好きなのだろうか。2楽章が好きだ・・・。交響曲第5番は苦手なのだが、2楽章はちょっと好きだ。


その前に気になっていたのはチャイコフスキーで、交響曲第6番のスコアを開いてみた(パソコンで)。そして、2楽章までたどり着いて、満足してしまったのだった。5/4拍子の、ワルツみたいな不思議な旋律が、チェロで始まるのだった。チャイコフスキーがなんなのか、やはりよくわからない。ベートーヴェンよりは好きだ。
チャイコフスキーのオルガン編曲集なんて楽譜が公開されていて、その曲を次々なぞってみた。そのラインナップは・・・なんだったかな。そのうち、そこには3楽章の「エレジー」が載っていた「弦楽セレナーデ」の、チェロ譜をひらいてなぞってみることになった。合奏の全体はおぼろげだけれど思い浮かぶ。そうして思いのほか熱を上げてしまい、fff、なんて書いている表記をなるべく再現しなくては、と思ってしまったりする。チェロがメロディーを弾くところでは、合奏全体の中でちゃんとメロディーが浮かびあがらないとならないのだけれど、ちょっとこれでは駄目だなと思ったりしながら。


どちらもマンドリン、マンドセロだけれどもそんなもので弾く、しかもヘタだ、ということははばかれることなのかもしれないが、人に聞かせるわけでもなく、しかし、それにしたって何でこんな曲なのか。ちょっと前にはドヴォルザークだったなあ、なんて思いながら古典派やロマン派音楽についてWikipediaで調べてしまうという、そんな時間の過ごし方を忙しいはずの休日にしてしまった。