わたしたちはどこからきたのか、わたしたちはなにものなのか、わたしたちはどこへいくのか

これは、ゴーギャンの畢生の大作(?)のタイトル。いや、なんかちょっと書いてみたかった言葉なので、へへへ。
ひらかなにひらいてみた。なかなかいやらしい、と、思う人がいるだろうが、私は今酒を飲んでこれを書いている。
こんな言葉が時々浮かぶような、実は私はわざとらしい人間だったのか、などと思い、しかしそうだ。
それにしても、わたしたち、なんて、ゴーギャンさん、なかなか幸せな人だったんだな。ちがうか。
しかしつまりは、そういうことはわからないというか、そういうわからないことがあるというか、そんなことをおもいおこさせてくれるということでは、ゴーギャンさん、ありがとう、と思う。
彼の絵が好きだった頃が、ちょっとは、そういえばあった。いつ頃だったか。


わたしたちがどこからきたのかわからないが、わたしはわたしの記憶しているみちを歩いてきた。他の人は知らない。
で、わたしがどこへ行くのか、そのときにわたしたちということばがわたしと重なる、なんてことを考えた。過去関わらなかった人は、もう関わらない。同じ人とこれから関わるのは違う話だ、などと、ふと思ったが、なんのことやら。
しかし、なんとなく時間の不連続性ということを考えたが、人間の生体のしくみがその事に大きくかかわるのではないか、と思ったが、それに論理というものの現状が・・・なんのことやら。
しかし、なんとなく過去はそれぞれの人のもので、未来は共有財産だ、なんて妙なスローガンみたいな言葉が浮かんだが、はたしてなんか意味があることなのか。
あるいは、私は、あるいはわたしたちは、未来を共有し合い進んでいくことが出来るのか、なんて言葉が、意味があるかどうかわからないがうかんでしまった。

ノア・ノア―タヒチ紀行 (岩波文庫)

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