彫刻について111114

本当はシリーズ化したりしてみたかったのだが、前のタイトルがしっくり来ない気もしたし、まあとにかく彫刻について書いてみる。


地方の公募展に出して入選はした。
審査員に知り合いがたくさんいるせいで懇親会にもリラックスして出てしまったが、それはそれで違和感を感じさせてしまったかもしれない。一般入選なのに妙に態度がなれなれしい、とか。空気が読めないタイプの一種かもしれない。が、空気を凍り付かせるまでには行かなかったと思う。思いたい。


などということとは直接は関係がなく、グループ展や個展が相次ぐ。相次ぐが、ちょっと気楽なグループ展に、個展だ。公募展に出している手前では気楽すぎるかもしれない、が、一般入選だし、などと、世間体を気にしている。などと、これは芸術家(?)としては最低か。


私の作品は出来損ないの、実用にならない日曜大工の成果といったところで、そこに何か彫刻らしき意識が見え隠れしているようなもので、「なんかいいのだけれど何がいいのかよくわからない」という。
同時に作品としての必然を感じない、とも思われただろう。鑑賞者のことをあまり考えていないというようなことが言われ、もっともだと思う。実は考えていないわけではないのだが、結果的に考えているとは言えない、などと、なんのことか。
具体的には、統一した作品の体はなしていないと思う。しかし、それは、いったい、どういうことなのか。
まあ、そういうわけで、なかなか面白い体験だったとは思う。
私は自分がわかっていないということなのかもしれない。


才能はあるのだろうが、なんのための才能か。いずれにしても、たいした才能ではなかろうと、意外にたいしたものだったとしても、そういうことが重要なのではなく、人を納得させられる何かが、とか書いたものの、世の中を見渡してみて、納得いかないことばかりだ、いやまあ、私の場合は自分で腑に落ちることすらできていないのだから、それくらいは落としてみたいものだ。


何か大工仕事のようなことの周囲をまわっている。
それは彫刻と関係がないわけではないが、なくてもいいことだ。が、私はその辺りを徘徊している。
彫刻の歴史のようなもの、アカデミズムにも横目で気配りしていないわけでもなく、それと大工はちょっと食い合わせがいいとは限らないかもしれない。
が、何か面白いと見て思う人もいるが、作っている私も見る人もみんな首をひねっている。


というまとめが適当かどうか知らないが、グループ展や個展が続いていく。
こんなことをしている場合ではないのかもしれない。が、書いてみた。

近代彫刻史

近代彫刻史