彫刻2

作品を作っている。ほぼ4カ月ぶりになってしまった。
さっき、やっとふたつ作品が出来た。
ほれぼれするほどいいなと思う。ただし、今日だけのことだと思うのだけれど。

怨念・・・といっても、変なものだ。何かがらくたみたいなものを拾ってきたり、もらったり、家の木や、頼まれて木を切ったり、あとはホームセンターや金物屋で売っているものが材料になる。が、材料が増えるばかりで作品は出来ない。これは、心の隅にも澱のようになっていて、心が腐る原因になっていただろう。材料の保管も今ひとつだった。切った家の木はあらかた腐ってしまった。去年頼まれて切ってもらってきた木はなんとか使えると思うんだけれど。

今回使った材料の中には、大物が入っていた。
近所にシルクスクリーン版画でちょっと有名な画家の工房があって、画家さんが散歩していたこともあった。ご高齢で、かなり前に工房が畳まれたときに、そのシルクスクリーンの機械(?)がバラバラにされてゴミステーションにあった。ずいぶん大きな鉄板が含まれていて、あれは収集してはもらえなかったことだろう。私が収集した。時効になっていないだろうか。
2、3年前にちょっと使ったけれど、一枚だけ厚くて大きい鉄板以外はそのときにすでにかなりさびていて、他にもらっていた鉄板の方を主に使った。厚くて大きい鉄板もかなりさびているのだけれど、もとが厚いから逆に貫禄が出てくるのだけれど、もったいなくて使えない。もらったものは厚さもちょうど良く、さほどさびてもいなく、扱いやすいものだった。ほかは厚さが半分のところもあったり、使いにくく、薄いものは溶接も難しい。
結局大きい鉄板は、今回はある程度切って作品の台の一部に使うことにした。
薄いものもけっこういじくってみた。溶接をすると穴が空いてしまったりするが、まあ、それでもいいかと、小さな作品の台などにしてみた。今までより細い溶棒を使うといいことも分かった。
鉄の作品は今回はなく、台だけなのだけれど、下手な溶接でも、どんな感じに出来るか分かると、その分かったことからこれからの作品の構想が変わる。厚い鉄板にも手をつけたので、そのうち作品に出来るかもしれない。

ある日突然大きな板が家の裏にあり、それは、家の水回りの仕事をしている弟が現場で捨てるものを持ってきてくれたのだった。かなり経ってから本人にきいたのだけれど。これは早速使うことができた。が、しばらく野ざらしにしてしまって、ちょっと黒い斑が出てきてしまったから使った感じもする。大きすぎて家の中におく場所がなかったのだ。斑を乱暴に削って、これも作品の台に。組み立ててからそのうまく組合わさらずにはみ出たところも乱暴に削った。

作品はすべてセメント。新しく買ってきたり古かったりする2種類のものを使った。しかし、あるものの1/10も使ったろうか。肝心の作品の方はやっと今日仕上がり始めた。1時間ほど前にその片づけが終わり、深い満足感があったので、コンビニに行って高いカップラーメンと、いつもの100円のではない高いお酒を買ってきて祝杯を上げた。
グループ展に向けての追い込みは昨日と今日で、山を越えた。昨日は2時、今日は12時まで作業をした。他のことをやっている時間の方が多いのだけど。さっきはなぜか「ラプソディー・イン・ブルー」の楽譜を引っ張り出してきて、音を拾ってみた。何やってんだ。


私はかなり幸せな方の人間なのだということがわかるのだけれど、それでも鬱になるものなのだ。