彫刻3

何事かについて持続して考え続けたことがあった気がしない。


決めたこと・・・とはちがう。しかし20歳くらいのとき何か直感的に、自分は芸術をやるのだと思った。
その時点で大学の(教育学部の)美術学科に属していたものの、学寮に入ってマンドリンのサークルにも入り、どちらでも美術をやっているということは奇異な、あまり誇れることではないという空気が感じられた。今思うとそれはかなり安直な印象を持たれたものだという気がするが、そのとらえかたに何か妥当な部分があることは当時も、今も感じつづけてはいる。マンドリンは音楽という芸術の一ジャンルに属している(?)というのに、「芸術」だとは思っていなかった。それは、芸術であるというよりは「何かみんなでいっしょにやること」だ。しかし私は心のどこかで芸術との関わりを探した。それは同時に「普通の人のやること」として・・・。
何にしてもたとえば絵を描くことは「芸術」だとか言うことに自分自身で違和感を感じていたのに「芸術をやる」のだというのは飛躍的なことであり、直感的に矛盾に向かおうとしていたような気もする。


その頃はまだ主に油絵を描こうとしていた。が、彫刻の先生に研究室にさそわれ、油彩の先生からもさそわれていたような気がするが、彫刻にした。油絵を描いていると精神的に行き詰まりそうな感じがして、彫刻には健康的なイメージがあった。その時にはどちらにも抽象的な表現に魅力を感じていて、彫刻の先生の方が抽象的な作品を手がけていたこともあったかもしれない。室内でイーゼルを立てて抽象的なビジョンを追い求めるよりも、室内であっても工房のような感じの場所で、あるいは屋外で体を動かして制作することのほうが何かすっきりする感じがした・・・ような気がしただけかもしれない。


そのような感触は持ち続けているものの、そこから一歩も進むことなく、同じようなことをしている。
そして、彫刻についてつづけて考え続けたわけではない気がする。作品を思いついては、作ったり、作らないで忘れたり、忘れるのがもったいない気がしてスケッチだけはしたり。
同じようなことを続けているようだけれど、それは、それだけのことだ。
芸術の中でも、美術をやろうと思い、彫刻をやろうと思い、焦点を絞ったようで、また絵を描いたり、平行して音楽を続けたり、けっこうな長い時間をそうしてきたけれど・・・。


少しは自分が何をしているのか考えようかと思い、先日彫刻について何かちょっとした思いつきがあって、何かやっと少し思考に輪郭が見えた気がした。
が、なんと、ほとんど忘れてしまった。
彫刻という「概念」があるいは自分にとっては行為が何とかだったか、そんなことを考えて・・・しかし今こう書いたことでは全くその輪郭すら見えないのだけれど・・・物があって、作るということがあって、そんなことは、絵とは違う・・・そりゃ、あたりまえだな。
なんだったのか。