「東京大学のアルバート・アイラー」とゲージュツに関する本について

もうずいぶん経ってしまったが、「東京大学アルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編」を読み終えた。31日か1日には読み終えていたかな。
かなり前に読んだ同じ菊地成孔の「憂鬱と官能を教えた学校」と並んで、知的興味と、さらにその先に拡がる今まで聞いたことのない音楽への期待でぞくぞくさせられるものだった。


クリエイティブであること(あまりいい表現じゃあないかな)は結果、作品を鑑賞するときに感じ取られる。そのクリエイティビティの中身はというと、はっきりこうだ、と言うようなことは難しい。そして、言うことができたとして、その言葉が言葉として正しかったとしてもその言葉を頼りに同じようにクリエイティブなことは、できないのす。それは・・・。
この本はしかし、ざっくりと音楽の要をつかんで未来を切り開く良く使い込まれたスコップのような、って、わけのわからないたとえ・・・。


タイトル通り東大での講義、らしい。随所にゲストを迎えその人に話してもらったり、質疑応答もあったり・・・4人のゲストは飯野友幸野田努大友良英、濱瀬元彦の4人。あらかじめ知っていたのは大友良英だけ。彼も他の2人もかなり面白いのだけれど、圧巻は濱瀬元彦。
今まで「憂鬱と官能を教えた学校」を含め和声についてなんか知りたいというか、和声についてじゃないか。とにかく音楽の構造について・・・たとえば小泉文夫の「歌謡曲の構造」なんかも含め、読むだけは読んできた。「和声法」とかいう教科書見たいのとか、「バルトークの音楽技法」なんて本を買うだけ買って、開くことは開いてまた閉じたり、というそんな本も話の中に出てきてびっくりしちゃったり・・・。
音楽の構造を、最もラジカルに分析しているのがジャズの現場にいて、チャーリー・パーカーの楽譜のアナリーゼに何年も費やしている人で、それが様々なキーワード・・・「ブルース」、「ダンス」、「即興」(!)、という次に「音楽理論(カウンター/ポスト・バークリー)」として出てくる(このキーワードの順番は先ほど書いたゲストの順に対応している)の講義を経て、さらにその前編の、私の読んでいない「歴史編」からの用意周到な段取りを経て聴衆の前に展開されるという、歴史的瞬間のような感じすら覚えてしまう・・・。それが、本を読んでも充分感じられる。
こんなの何年ぶりだろう。
高橋悠治の「たたかう音楽」を書店で手に取ったときのことをなんとなく思い出すなあ。あれはもう下手をしたら25年前。そして、ある意味そのときよりもすごい感じがしないでもない。その高橋悠治もこの本にちょこっと出てきたり・・・つまり高橋悠治のすごさの再確認もここでまたできたのだけれど。


惜しむらくは・・・。
結局読むだけは読んだという感じで、それは「憂鬱と官能を教えた学校」もそうで、楽譜がたくさん載っていてもそれを弾きながらという読み方まではしていないのだけれど、わかっていないのだけれど、面白いことだけはわかる、という・・・。
変な話だが、麻雀がよくわからないのに記譜だらけの片山まさゆきの麻雀マンガが面白い、みたいな・・・。
私は作曲とか編曲をしようとしているとか、時間を費やしているわりにとことん無能、で、しかしそれで面白さだけはわかるというか、そんなことでもやっていたから面白さがわかるの、か。
「憂鬱と官能を教えた学校」もそうだけれど読み返さねば、とは思う。3回目くらいにはキーボードも引っ張り出してきて・・・いつになるかな。前編も手に入れて、ほかの菊地成孔の本も読んで・・・。


美術でここまで本を読んで興奮したことはあったかな。美術手帳を毎月買っていたことがあった・・・・面白かったけれど、さすがに今回とはくらべものにならない。その頃載っていたヨーゼフ・ボイスについての連載をまとめて読んだらどうなのかなあ。その当時も、実はちゃんと読んでいなかった、というか、ほとんど読んでいなかったか。藤枝晃雄の本が一番面白かったかな。彼の訳したグリーンバーグの著作が出て、読まなきゃなあと思っているところで貧しさに負けて買わなかったけれど・・・。
作家の書いた本を読みたい気もして、美術で言えば美術出版社の「新技法シリーズ」、最近は書店であまり見かけない気もするけれど、佐藤忠良があまり好きではないけれど彼の新技法シリーズはちょっといいなと思ったような覚えが・・・。でも菊地成孔の本とくらべるものでもない。
そういえばこの間札幌の書店で、ウンベルト・エーコの美術の厚い本を見かけて、読んだら面白いのかな、とは思ったけれど・・・。

憂鬱と官能を教えた学校

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たたかう音楽

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ノーマーク爆牌党 1 (1)

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美の歴史

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