マンドリン合奏でやってみたい曲6

知り合いの喫茶店に行ったら私が持っていったロシア民謡のCDをかけていた。ずいぶん前のものだ・・・。
以前ロシア民謡のメドレーをやらねばならないことになり、元曲を知らねばといろいろ買ったうちのひとつで、たしか赤軍合唱団という団体のものだった。そのメドレーは構成などいかがなものかと思えるものだったが、しかし元曲を知ってみたほうがやりやすかったし、少しは曲の(元になったロシア民謡の)魅力はわかった。


これは、心のどこかに引っかかっていた。
ロシア民謡」などというが、「赤軍合唱団」などというところで歌っていることから想像できるかも知れないが、ソ連体制下の要請に合致したものだ。私の買ったCDは1960年代のものらしく、ソ連が大国としての地位を固めることにもっとも成功していた短い時期のものらしく、赤軍合唱団も「絶頂期」だったとライナーには書かれている。
いや、すばらしい音楽だ。


「ポーリュシュカ・ポーレ」、ロシア革命の戦場に向かう兵士を見送る「乙女」の歌だった。曲は1934年に書かれたという。民謡? しかしこれはどう考えても魅力的な音楽だ。
さすがに「どこかで聞いてはいた」この曲を私が再認識したのは「独立少年合唱団」という映画。1970年代初頭に舞台は設定されているらしい。思春期の子供たちが学生運動の血なまぐさい部分に接してしまうところと、合唱がハイライト。合唱団が歌うもっとも印象的な歌が、「ポーリュシュカ・ポーレ」・・・これは、しかし、思い出しても鳥肌が立つような深い・・・これをある種の「音楽的体験」といっていいのだろうか・・・というのは、この映画のようなシチュエーションでこのような音楽を吸収してしまうことが・・・。
私が「合唱」したのは中学生の頃で、巧い方だったらしいが、気持ちよさもありはしたものの、何かイヤなものでもあった。モーツァルトヘンデルか何かの明るい宗教曲をやって、気持ちの良いものだったけれど、このひねりのなさはいったいなんだろうと思った(当時はそのように言語化できなかった)。もう一曲は「樹氷の町」だったか。フォークソングが精密化したような印象だった。もう一曲は、「ふれあい」、テレビドラマの曲だ。大好きなドラマの歌だったんだけれど、こんなうた恥ずかしくて歌いたくなかったな。学年順が前後しているのは、中学校の合唱事情をわかる人なら並び替えられるかも知れないが、微妙か。
当時はビートルズからパンクとかニューウェーブプログレッシブロックグラムロックとかと、オフコースやチューリップを平行して聞いていた。大滝詠一にショックを受けたなあ。と、いうような引きこもり的な体験と、周囲でバンドなんかやりたがるのはヘヴィメタばかりというところに、合唱曲の中身ってまた異次元、正直きつかった、ねじれていたと今にして思う。
でも「独立少年合唱団」の子供らはもう、純粋に「ポーリュシュカ・ポーレ」まっしぐら。この違いはどういうことか?
・・・というのは2000年か01年頃に考えたことが熟成されて言語化したもの。まだ疑問符がついたまま。


日本の戦後、ロシア民謡が大流行したらしいが、それは「カチューシャ」あたりが中心だったのだろうか。「トロイカ」なんてのもあったな。
まもなく学生運動なども拡がっていった、そんな時期があった。私が生まれてからもしばらくそれは続いていただろう、なんとなく知っているのは「あさま山荘」くらいだが、なんか今で言う「テロ」っぽいイメージのもっとも古いものだろうか。「独立少年合唱団」・・・まさにその辺の時期を舞台としていて、日本の左翼「運動」はその後下火になっていったはずだ。その後社会党が支持を伸ばした時期などもあったはずだが、過激なものではなかっただろう。
そのころの、子供っぽいイメージでは公害反対というようなことが革新政党のほうに近いイメージがあって、生協で買い物していて、ある種あたらしく住み良い社会には革新政党が近いというイメージを持っていた。これはそんなに間違っておらず、自由民主党革新政党の政策を換骨奪胎して延命してきた部分があるという噂は正しいのではないかと思っている。しかし、その時点でなんだかよくわからなくなっちゃうんだけれど・・・。とりあえずは、子供の頃の勘は、子供としては間違っていなかっただろうという話だが。
いや、左翼の話はいいや。
ロシア民謡が流行っていたなんて時にはうたごえ喫茶なんてものがあって、そんな場所での花形がロシア民謡だったのか。
そんな日本と、今の日本と、どう連続しているのか・・・。ねえ、お父さん。


と、いうことは今考えたことで、しかもマンドリンでやりたいかどうかということとは関係がない。
関係があるのは、5年前くらい、ロシア民謡に取り組んで? いたときには、しょぼいメドレーよりも「カリンカ」なんかやりたかったなあ、と、思ったくらいなのだが、そんな考えは無謀の極みであっただろう。しょぼい曲で私にはふさわしかったと思う。そんなしょぼい曲でを一生懸命やったことは後に役に立った気がする。
なんで「カリンカ」か、「赤軍合唱団」の演奏、面白いのだ。機会があったら聞いてほしい。合唱と独唱の対比、デュナーミク、テンポの変化の必然性の強烈さ。ベートーヴェンは、バッハなどとこれらのものの中間の、中途半端なものか、しかしそう考えると少し面白いんだけれど・・・。あと、「ヴォルガの舟曳き歌」・・・「舟歌」でないのは、船に乗っていないからだな。・・・ちがった、違歌だ。・・というのは今CDを聞いてみたので・・・「エイコーラ」のあの歌、好きだなあ。そういえば私の町では「よいとまけ」のかけ声が町に響いていたことがあったらしい。美輪明宏のうたじゃないよ。その歌のなかで歌われている原風景。私の町でも女性たちが働いていたらしい。そういえば、炭坑でもそうだったらしいな。胸をはだけていたりしたはずだ。
あと、件の「ポーリュシュカ・ポーレ」。
革命一直線もむべなるかなという力が音楽にもあふれている。共産主義だと言っても、北朝鮮将軍様をたたえるうたなどという薄汚いものとは、やはり違うのだ。みんなが一緒の方向を向いて走っているようなこと自体は日本の学校であろうが、北朝鮮だろうが、モデルは軍隊だろうと思う。好きではない。ただ、戦うこと、しかも雑兵が莫大な人数で動いて死んでいくようなこと、それを簡単に今自分に関わりがないから知らないと言えない感じはある。ただし、北朝鮮将軍様のようなものは知らない。麻生太郎もどちらかというと、どうでもいいものだろう。
何を書いているのか。


いや、なんか、けっこう好きだな、「ロシア民謡バラライカが聞けるものもあった。バヤン(アコーディオンの一種?)の音色・・・しかしたとえば「ポーリュシュカ・ポーレ」を、マンドリン合奏に編曲するとは、どういうことで、どんな技術がいるものなのだろう。そんな曲をやる意味とは、可能なプログラミングとは? どんな曲と組み合わせて・・・。