マンドリン合奏でやってみたい曲

合奏でもアンサンブルでも、やってみたい曲がたくさんありすぎてフラストレーションがたまる。というわけでそれを解消するために、書いてみるのだ。

おこがましいにもほどがあるが、私が今マンドリンオーケストラの1ステージの選曲をするとしたらこうなる。
1. ファルボ「田園写景」 2. ミラネージ「降誕祭の幻影」 3. 柳田隆介「マンドリン合奏のための二章」
3番目の曲は去年やった。この曲を軸にするなら、1番目と2番目の曲を組み合わせればよかった、と、今思っているが、1番目の曲は3番目の曲を出す前に最初に挙げて却下されたものだった。2番目の曲は選曲をした一昨年には良さがわかっていなかった。そして、実はこの3曲はギターの低音弦の調弦がレなのだ。
つまらぬ事を書いてしまった。

私が大学生の頃、イタリアの作曲家といえばアマディ、ボッタキァリ、ファルボ、マネンテだった。
名曲といえば、まずは「海の組曲」「交響的前奏曲」。好き嫌いはあるにしても、この2曲は認めざるを得ない部分が大きいだろう。
アマディは「北欧のスケッチ」のほうが好きだったが、指揮をすることになって選曲を考えながらいろいろとスコアをあたってみたときになんかややこしくていやになった。3楽章がいまひとつの気がしたし。吹奏楽が原曲で、中野二郎さんの編曲で、大編成向けで、クアルティーノなんかあるらしくて、セロで弾いてみたけれどなんかよく響かない気がして、つぎに「海の組曲」のスコアをあたってみたらなんと明快な!やっばり最初からマンドリンオケ用に書かれたものがいいにちがいない、と、思っていたが、今は総合的には「海の組曲」だとしても、個人的には「北欧のスケッチ」への偏愛がよみがえってきた。来年のコンサートに向けて練習している。ただし、この曲が好きなのは私がセロ弾きだからだということもわかった。こんなにセロが「おいしい」曲だったとは。3楽章をのぞいて。
マネンテは、私にとってはなぜか「シンフォニア」。「華燭の祭典」は、なにがいいのか今も全然、全くわからない。「小英雄」は、まあまあ好き。私にとってマネンテはベートーヴェンのできそこない。そもそもベートーヴェンはあまり好きじゃない。でも、逆に「できそこない」の良さが「シンフォニア」にはある、と、言ったら顰蹙だろうけれど。この曲はしつこくスコアをあたってなんとかできないかと思ったが、あきらめた。これも吹奏楽が原曲らしく、中野二郎さんの編曲で、大編成向けで、マンドローネなんかあって、団体にはちゃんと楽器を持っている奏者がいるのだけれど、スコアからはイメージがわかなくなっていったし、団体のおかれている状況というものがある。

柳田隆介の「マンドリン合奏のための二章」は、去年の演奏会のために選曲したばかり。
とりあげることが出来て良かった。今も日本人作曲家のマンドリン曲のベストだ。
ただし、日本には私の知らない曲が、たくさんあるのだろう。

問題はファルボとボッタキァリ、そしてミラネージ。
ファルボは、まずは「間奏曲」だった。学生時代「交響的前奏曲」と同じ演奏会の違うステージのプログラムで弾いた。その日までのリハーサルなどでは「交響的」より「間奏曲」の印象が強かった。演奏会当日は、なぜか思い出せない。「間奏曲」の、中間部から主題にもどる一拍前の和音、その前のラレンダント、その後の間。夢のような時間。でも今は「スパニア」が好きで、しかしセロそのほか難しすぎるので「田園写景」がベスト。「序曲」や「四重奏曲」の一楽章は、悪くないんだけど、なにか気恥ずかしい。それにしてもファルボは早逝が惜しまれる。
ボッタキァリは、「交響的前奏曲」が出来すぎ。で、なにかうさんくさい。いまのところは・・・やるなら「イル・ボート」だけれどなんかでたらめな感じがする。そう思って「交響的前奏曲」は、と思うと出来すぎな感じがする。
で、ミラネージだ。が、「主題と変奏」を作るのは凡人には難しく、ほかの曲は演奏そのものが難しそうだというところまでしかわかっていない。「降誕祭の幻影」は、ちょうどいいなあ。

あ、そういえば、トレビジオールという人の「交響的前奏曲」だったかな、ちょっと面白かった。これは中野さんではなく・・・。