マンドリンオリジナル曲について6

先日ふと思い立って某サイトのマンドリン作曲家、作曲作品の膨大なリストで、有名なマンドリン作曲家の生没年を調べ、書き出してみた。世代による音楽内容の推移や、作家同士の影響関係をぼんやりとでもとらえたかったような感じで。


有名どころではシルヴェストリが古く、生年1841年。ワルター51年、ムニエル59年、ラファエレ・カラーチェ63年、アマディ66年、マネンテ68年、ファルボ72年、マチョッキ74年、ボッタキァリとラウダス79年、ミラネージ91年といったところで、主なイタリアに近い作曲家の名を挙げ終わる、と思った。ラウダスはギリシャの人のようだけれど。マチョッキはフランス?
ドイツは、アムブロシウスが1897年、ヴェルキが1904年。あとはあまり知らないが、ヴェルキは創作期間が長いはず。
日本では、萩原朔太郎1886年、武井守成が1890年、鈴木静一が1901年、中野二郎が1902年。大栗裕1918年、熊谷賢一34年、桑原康雄48年、藤掛廣幸49年というような感じになっている。


もちろん、たしか多作だったと思ったり有名だろうと思われたり私が関心があったり私の印象に残っていたりという作家の選択はデタラメに近いし、もっと意義のあるデータの取り出し方はあるだろうが、とりあえずのところでご勘弁。「日本で」よく知られているものに限るという注釈も必要かもしれないが・・・。
さらにそのほかの膨大な数の人たちの名前が並んでいるのだけれど・・・。
1900年前後生まれた世代を境に、イタリアではマンドリンオーケストラの曲を書く人は激減、1957年生まれのマンドニコを待たなければならなかった、逆にドイツ、ウイーンや日本で増えた、とか。
ただし、この推測は作曲者の名前の雰囲気で判断している。並んでいる名前がイタリアっぽくなくなってドイツっぽくなると、思ったのです。


普通の話なのだが、イタリアがやっぱりマンドリンの本場なのだな、というのは、その激減前の作曲者の数の途方もない多さから類推。アマチュアセミプロ程度の音楽家がほとんどにしたところで、彼らがその膨大な制作活動を支えていたわけで、その隆盛は後のドイツ、日本も及ばないのではないか。その大変な隆盛が世界に伝播したなかで
しかし携わる人が多かったにしても、そもそも作曲をできる人の数というのも、イタリアではもともとかなり多かったのではないかという推測も浮かんできた。


イタリアとドイツの音楽の違いも気になってきている。
イタリアの音楽というものはあまり構成がしっかりしていない印象を、マンドリン音楽のために持ってしまったが、イタリアの音楽の伝統というものをそもそも知らないための誤解かもしれない。
ヴィヴァルディ、ロッシーニヴェルディプッチーニレスピーギしか知らないで、バッハ、ハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルトブラームスワーグナーマーラーシェーンベルクといったドイツ、ウイーンの作曲家に対して見劣りする、というような印象、それはある一面しかとらえていないことになるとか・・・。
あるいは、市民レベルでの音楽の愛好の度合いのようなものが、少なくとも日本とは全然違うのかもしれない。アマチュア作曲家のような人も多いのかもしれない。音楽史的なものがとらえる音楽と、市井の感覚が違い、たとえば沖縄の各家庭に三線があるというように身近に音楽があるとか。
イタリアでのマンドリン合奏の隆盛とは、いったい・・・。そしてその衰微は、戦争との関わりがあったらしいが。流行の終わりのようなものだったのか。市民がたしなむ近代的な音楽的いとなみ。豊かさの象徴か、文化の。
で、ドイツ、ウイーンなどとも近いようでなにか違う、もっと古くからの層の厚さ、質のちがい、あるいはカトリックプロテスタントの違い・・・。フランス近代とも違う・・・。なんだ、イタリア。


作曲に関してはアムブロシウスやヴェルキのドイツ的なアプローチによってイタリアと一線を画していたようだが、ドイツでもそこそこ隆盛したアマチュア合奏では、そんな曲ばかりを演奏してきたのか。イタリアの曲は演奏しなかったのか? したとしたらそこに整合性はあり得るのか?


日本のマンドリン受容は、この国の洋楽受容とほぼ期を一つにしているかもしれない。山田耕筰、洋楽受容初期の最重要人物かもしれないこの人の生年は1986年。萩原朔太郎と同じだ。山田はドイツ、ベルリンに学んだらしいが、4年年少なだけの武井がイタリアに学んだことの意義は・・・。
彼らが活躍した時代も過ぎた、大戦後に文化は大変動し、アフリカ人からの影響が強いアメリカ軍人の音楽文化が日本人の庶民に少しずつ染み渡っていき、戦前からの音楽受容の流れもあり、流行歌もそれに沿って変化していき、ラジオ、テレビは文化の変化を大規模にすすめる働きをして、また一斉教育もそれにちかい働きをし、伝統というものは、山田や武井の受容したばかりのものですらまもなく廃れるというようなことになったようだ。日本のマンドリン関係者に古賀政男を忘れていた。彼は1904年に生まれている。日本の戦後文化の象徴のような・・・。
イタリアのマンドリン曲を日本にもっとも良く伝えたのは中野かもしれない。それがここまで、それなりにとはいえ隆盛に至ったのは、なぜだろう。クラシックといえばドイツ系の世界という感じとは違う、精神的というよりは趣味的な世界? 大学という不思議な文化世界・・・学生運動などといったものと同時に存在していい文化とも思えない。乖離した社会の象徴・・・。
とはいえ、作曲者の方が時代によりそっていたらしく、熊谷、藤掛にはフォーク、ロック的な要素がすでに認められるような感じがある。彼らにしても音楽教育の基本を学んだはずだけれど、アクチュアルなものとして流行のうちのアメリカナイズされた部分に歩みを近づけていたのか。冨田勲や、伊福部明、芥川也寸志などの存在、また例えばテレビやラジオの劇音楽の前衛性などにも連想が及ぶ・・・。


イタリアの、マンドニコにアクチュアリティがあるのか、それはどんなものか。ネオ・ジャズ・バロック? たとえばジャズミュージシャンがバッハをやるのと何か関係があるのか・・・。
そんな音楽と混在している、たとえばシルヴェトリ、アマディ、ヴェルキ、鈴木静一や藤掛廣幸・・・。
日本のマンドリン合奏の 状況を、たとえばアナーキーとは言えない。じゃあ、コンプレックスかなあ。それらをまとめる「のり」として、マンドリン合奏というフォーマットは、持ちこたえられるのか?